語り手の紹介と録音の経緯

織田ステノさん

謝辞

資料の公開を許可してくださった織田ステノさんのご遺族に厚くお礼申し上げる。


語り手の紹介と録音の経緯

織田ステノさんは1901年ごろに静内町内海岸部の現・元静内に生まれ、幼いころから静内川上流域の現・農屋にあった母方の実家に引き取られて生活した。織田さん自身による回顧によれば、1972年ごろから白老観光コンサルタント株式会社および白老民族文化伝承財団(1976年設立、現・財団法人アイヌ民族博物館)に勤務し、後進の指導にあたるとともに研究者らによる聞き取りに応じてアイヌ語などを教示していた。1983年からは静内町教育委員会の調査事業に協力しながら、引き続き後進の指導や研究者への協力を行った。1993年死去。おもな業績・記録として、Refsing,K.(1986), The Ainu Language, Arhus University Press,静内町教育委員会(編)(1991-5)『静内地方の伝承I〜V —織田ステノの口承文芸(1〜5)—』、奥田統己(編)(1999)『アイヌ語静内方言文脈つき語彙集(CD−ROMつき)』などがある。

「キリギリスの神とその娘が自らの体験を物語る」は1981年8月28日、「家の守り神さまに天に召された村長の娘が自らの体験を物語る」は1983年8月15日に田村すゞ子によって録音された。1981年の録音当時、織田さんは繁忙期間のあいだ白老町内の住宅に暮らし、勤務先の財団の業務に従事しながら、訪れる研究者の聞き取りに協力していた。たとえばすでに1978年9月には、横田あゆみ『アイヌ語の語法研究—日高東部方言における接続助詞—』(1978年度東京外国語大学外国語学部卒業論文)の調査に協力している。田村による聞き取り調査は、記録によればこの8月21日から28日にかけてが初めてである。なお「キリギリスの神とその娘が…」を含めこのかんに織田さんが語った口頭文芸はすでに田村によっていったん文字化されており、今回の報告にあたってはそれを参照しつつ新たに文字化・訳を行った。1983年の織田さんへの聞き取りは、8月15・16日の両日にわたって静内町内のご自宅で行われた。このとき織田さんは口頭文芸を3篇語っており、いずれも文字化などはなされてない。ここには紙数の都合からそのうち1篇を収めた。

本項目の執筆にあたって、文中に掲げた諸文献のほか(財)アイヌ民族博物館(編)(1996)『二十年のあゆみ』を参照した。


川上まつ子さん

謝辞

資料の公開を許可してくださった川上まつ子氏のご遺族ならびに文字化・翻訳・注解の公開を許可してくださった浜田隆史氏に、厚くお礼申し上げる。


語り手の紹介と録音の経緯

※本項は、田村すず子・田中聖子(1997)『アイヌ語音声資料10』(早稲田大学語学教育研究所)所収の「はしがき」および「語り手紹介」をもとに、奥田統己が修正・加筆したものである。

川上まつ子氏は1912年9月20日、現在の沙流郡平取(びらとり)町荷負(におい)のペナコリで生まれた。実母マツの姉のモチャシとその夫カブ(アイヌ名エカシサムシ・和名川上栄吉)の養女となり、一人娘として育てられた。9歳で小学校に上がったときから宿屋の食器洗い、畑仕事などに使われ、小学校にも通わせてもらえなくなり、眼のわずらいなどでも苦労した。18歳のとき平目三郎と結婚。1987年、急性心不全で死去。祖母ウワルスッらからアイヌ語や民族文化を受け継ぎ、歌や踊りばかりでなく、たくさんの昔話を伝承しており、また日常のことをアイヌ語で話すことも、この年代の人としては格別に堪能であった。多くの学徒を教え、研究者を助け、数々の録音や記録を残した。

1976年8月、田村氏は北海道平取町内に3週間ほど滞在し、アイヌ語話者数名を訪問して、音声資料の録音を行った。その中で、川上氏のものは、uwepekerウウェペケㇾ《民話・散文説話》8編、menokoyukarメノコユカㇻ《神謡》3編、isoytakイソイタㇰ《独話・身の上話》3編、そのほか、upopoウポポ《斉唱・輪唱歌》やyaysamaヤイサマ《即興歌》などを録音した。そのうちの最初の3編(ウウェペケㇾ2編、メノコユカㇻ1編)は、すでに田村すず子・田中聖子(1997)『アイヌ語音声資料10』(早稲田大学語学教育研究所)として公刊されている。

田村氏はその後、残りの部分の文字化・翻訳・注解の作業を浜田隆史氏に依頼し、2008年までに全編の作業は終了して田村氏の手もとに送付されていた。今年度公開するのはそのうち、既公刊のものに続けて1976年8月6日にペナコリの川上氏の自宅で録音された、ウウェペケㇾ2編とメノコユカㇻ2編の音声資料と、浜田氏による文字化・翻訳・注解である。一連の資料として公開が企図されていたこと、調査の時点でも一連の番号が付されていることから、ここでは既公刊のウウェペケㇾ1、2、メノコユカㇻ1に続けて、それぞれウウェペケㇾ3、4、メノコユカㇻ2、3と付番する。


なお田村氏は、浜田氏はじめ何人かのかたに依頼したアイヌ語音声資料の文字化・翻訳などの成果の早期の公刊を希望していたが、その機会を得ることなく2015年8月3日に81歳でこの世を去った。ご冥福をお祈りする。